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【ニュース】好きな野菜1位は「トマト」、嫌いな野菜1位は?(http://news.mixi.jp/view_news.pl?id=943709&media_id=40)
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600人程度を対象とした好きな野菜と嫌いな野菜という特にどうでもいい統計だが、大事な要素を含んでいる。今日叫ばれている食育だ。
食育という言葉はごく最近の言葉かと思いきや、実は古くからある言葉だ。明治時代に当時の西洋医学・栄養学批判を展開した石塚左玄が明治30年(1897年)に「体育智育才育は即ち食育なり」と造語したことによる。 石塚左玄が唱えた「科学的食養法」では、当時の栄養学に対しての批判がつづられている。彼の批判は、まさに現代の人間たちへの批判そのもののように感じられる。
現代での概念としての食育とは、 国民1人1人が、生涯をつうじた健全な食生活の実現、食文化の継承、健康の確保などがはかられるよう、自らの食について考える習慣や食に関する様様な知識と食を選択する判断力を楽しく身につけるための学習などのとりくみをさす。
戦後、日本の食生活は急速に変遷。 伝統的に主食であったご飯(お米)を中心に、魚や野菜、大豆からつくる豆腐や納豆などの副食が中心であったが、第2次世界大戦後の経済成長のなか、畜産物や油脂などの摂取が増加し、昭和50年頃にはカロリー摂取量がほぼ満足すべき基準に達した。たんぱく質、脂肪、炭水化物のエネルギー比率のバランスはいわゆる「日本型食生活」ともいうべき理想的な食生活を達成。ここまではよかったのだ。
ところが、その後も脂質の消費が急増していき、パンの普及によりご飯(お米)の消費が減少。脂質のとりすぎと炭水化物摂取量の減少が顕著になるだけでなく、塾や習いごとなどで夕食の時間がずれ込んだり、深夜のテレビ番組の影響など、朝食の摂取が激減。現代では、コンビニなどもあって、24時間いつでも自分の食べたいときに食べたいものが手に入る。ライフスタイルの変化から家族での食事の機会が減少し、個食や孤食が増加。不規則な食習慣・食生活の乱れが顕著にあらわれ、このあたりで日本の食生活は雲行きがあやしくなってくる。 成人病といわれていた肥満や糖尿病も、若い世代にもおよぶようになり、心臓病や癌、脳卒中などもふくめ肥満や糖尿病などは習慣生活病と言い改められるようになった。
食育には、上記したような理由から、健康の維持・向上を寿命まで延ばそうという理念と、増大する医療費の抑制のための食生活の改善という意味をもっている。
昨今のBSE問題や食品の表示偽造問題などが発端となり、食の安全・安心も食育の1つの課題となり、また、40%という低い食料自給率の向上も課題の1つだ。 様様な問題があるなかで、行政や産業側だけの努力では解決できるものではない。1人1人が食について考え、自ら判断できる力を身につけるために食育は必要だ。
保育園でもこの食育は流行っている。 何をもってして食育としているのか疑問なことも非常に多い。
「クッキング保育をしているからこれが食育なんです」「近所の畑を少し借りて芋掘りを体験することが食育なんです」「好き嫌いをなくしてすべて食べさせます」というようなお題目も多い。 それ1つ1つは決して間違ったことではないが、それらは手段の1つにすぎない。しっかりと目的に執着し、最終的にどういった姿が理想なのかをつねに保育士たちは見つめていなければならない。 それができなければ、結局はゆとり教育と同じ。職員側がしっかりと理念を理解し、その理念を正確に子どもたちに育んでいかなければ、結局的には成功しない。
石塚左玄がいう「体育智育才育は即ち食育なり」はまさにそのとおり。 体育、智育、知育、徳育、音楽など様様な教育が育まれるなか、それらはすべて資本となる心身あってこそ。つまり教育すべてを統べるのはまさに食育なのだ。
どのような環境において、どのような手段でもって、食を育んでいくのか、保育業界ももう少し踏み込んでいかなければならないのではないだろうか。
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600人程度を対象とした好きな野菜と嫌いな野菜という特にどうでもいい統計だが、大事な要素を含んでいる。今日叫ばれている食育だ。
食育という言葉はごく最近の言葉かと思いきや、実は古くからある言葉だ。明治時代に当時の西洋医学・栄養学批判を展開した石塚左玄が明治30年(1897年)に「体育智育才育は即ち食育なり」と造語したことによる。 石塚左玄が唱えた「科学的食養法」では、当時の栄養学に対しての批判がつづられている。彼の批判は、まさに現代の人間たちへの批判そのもののように感じられる。
現代での概念としての食育とは、 国民1人1人が、生涯をつうじた健全な食生活の実現、食文化の継承、健康の確保などがはかられるよう、自らの食について考える習慣や食に関する様様な知識と食を選択する判断力を楽しく身につけるための学習などのとりくみをさす。
戦後、日本の食生活は急速に変遷。 伝統的に主食であったご飯(お米)を中心に、魚や野菜、大豆からつくる豆腐や納豆などの副食が中心であったが、第2次世界大戦後の経済成長のなか、畜産物や油脂などの摂取が増加し、昭和50年頃にはカロリー摂取量がほぼ満足すべき基準に達した。たんぱく質、脂肪、炭水化物のエネルギー比率のバランスはいわゆる「日本型食生活」ともいうべき理想的な食生活を達成。ここまではよかったのだ。
ところが、その後も脂質の消費が急増していき、パンの普及によりご飯(お米)の消費が減少。脂質のとりすぎと炭水化物摂取量の減少が顕著になるだけでなく、塾や習いごとなどで夕食の時間がずれ込んだり、深夜のテレビ番組の影響など、朝食の摂取が激減。現代では、コンビニなどもあって、24時間いつでも自分の食べたいときに食べたいものが手に入る。ライフスタイルの変化から家族での食事の機会が減少し、個食や孤食が増加。不規則な食習慣・食生活の乱れが顕著にあらわれ、このあたりで日本の食生活は雲行きがあやしくなってくる。 成人病といわれていた肥満や糖尿病も、若い世代にもおよぶようになり、心臓病や癌、脳卒中などもふくめ肥満や糖尿病などは習慣生活病と言い改められるようになった。
食育には、上記したような理由から、健康の維持・向上を寿命まで延ばそうという理念と、増大する医療費の抑制のための食生活の改善という意味をもっている。
昨今のBSE問題や食品の表示偽造問題などが発端となり、食の安全・安心も食育の1つの課題となり、また、40%という低い食料自給率の向上も課題の1つだ。 様様な問題があるなかで、行政や産業側だけの努力では解決できるものではない。1人1人が食について考え、自ら判断できる力を身につけるために食育は必要だ。
保育園でもこの食育は流行っている。 何をもってして食育としているのか疑問なことも非常に多い。
「クッキング保育をしているからこれが食育なんです」「近所の畑を少し借りて芋掘りを体験することが食育なんです」「好き嫌いをなくしてすべて食べさせます」というようなお題目も多い。 それ1つ1つは決して間違ったことではないが、それらは手段の1つにすぎない。しっかりと目的に執着し、最終的にどういった姿が理想なのかをつねに保育士たちは見つめていなければならない。 それができなければ、結局はゆとり教育と同じ。職員側がしっかりと理念を理解し、その理念を正確に子どもたちに育んでいかなければ、結局的には成功しない。
石塚左玄がいう「体育智育才育は即ち食育なり」はまさにそのとおり。 体育、智育、知育、徳育、音楽など様様な教育が育まれるなか、それらはすべて資本となる心身あってこそ。つまり教育すべてを統べるのはまさに食育なのだ。
どのような環境において、どのような手段でもって、食を育んでいくのか、保育業界ももう少し踏み込んでいかなければならないのではないだろうか。
(2009年8月29日)【穴山安治(小助)】
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プロフィール
HN:
小助
年齢:
43
性別:
男性
誕生日:
1981/03/10
職業:
保育士
趣味:
考古学
自己紹介:
法学部法律学科を卒業後、小中高校生への学習指導講師を経て、幼少期からの夢の保育業界に転身し6年目。労務管理を得意とする異色の保育士として施設長経験も有り、現在は知識・技術・経験を活かし講師として労務と保育を説く。
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